沙羅子

1/1/257 16-08-01 月 06:19:02 

そのワクワク感って、実は「OL生活を辞められる」状況になることだったり、もっと大まかに言えば、日常生活の労働や人間関係の中で、自分が出来る限り思いやりをもって生きるということを、そういう地道な修業のようなものを、「やらなくてすむ」ようになることへの期待だったのだと思う。
女一人では行けない白山中居神社に一緒に行ってくれるような、そんな旦那様と出会えたらいいな〜とか思ってた。その頃もまだ、愛する人に出会えたとしても、結局はそこでも労働や関係性の中で、自分はどれだけ思いやりを出せるのかの修業なのだということを分かってなかった。
それくらい私にとって、働くこと、他人を思いやることは気重で面倒でつまらないことだったのかもしれない。
「愛」というものも、愛する気持ちがあれば思いやりは別段努力をしなくても、当たり前のようにやれることだろうと思ってた。
私がことさら「無償の愛」みたいなものを望んでいたのは、そこに「努力しなくてすむ」ような印象を持っていたからかもしれない。
私はそれほどに、思いやりという気遣いを心掛けることをダルがっていたんだろう…。